2012年7月25日水曜日

電子書籍はなぜ流行しないのだろうか。その1



だいぶ前のことだが、電子書籍が紙に負ける5つの理由というwired japanの記事があった。

とても興味深い記事で、特に最後の5番目の理由、電子書籍はインテリアにならないからというのが、突飛なようで、意外と的を射ていると感じたのを覚えている。インテリアかどうかはともかく、本棚に収められている本はその人をよく表しているし、何より、家の中で重要な空間を占めている。
そんなことをぼんやりと感じ、電子書籍に違和感を感じながらも、出版に関わる人であれば、大なり小なり、誰もが電子書籍に期待し、がっかりし、というのを繰り返したこの3年間だったに違いない。

「電子書籍をインターネットで販売できる時代がきた!」

そこに希望を見出した雑誌の版元、絶版本を多数抱えた大版元、資金力のない小版元、逆に危機感を感じた書店、取次、印刷会社など、まったく思惑の違う人々が連携して、読者無視のサービスを展開した3年間だったと総括できる。
口車にのせられたのか、人のふんどしで相撲をとろうとしたのか、日本の家電メーカーの端末はどれも、これもお粗末極まりない代物だった。

そんな中、日本のちっぽけな出版市場などは、さほど重要視していない楽天のkobo買収劇が、結果として一番、日本の読者や出版人に寄り添う端末の発表につながったことはあまりにも皮肉だ。

Kobo Touchが、1万円を大きく下回る価格で、かつ、ePub3.0をサポートした意味は大きい。

日本の家電メーカーはもう価格面で太刀打ちはできないだろうし、今年中に出すとCEOが宣言しているamazonもkindleをePub3.0に対応させた上、日本に乗り込んでくるに違いない。対ヨーロッパを考えたら、koboを野放しにはできないからだ。

もし、Kindleがkoboに実装されなかったjavascriptを実装してきたら、また大きなうねりが生まれるだろう。
ともかく、期待が大きかった分、その後の停滞で落胆が大きかったePubが息を吹き返したのは、喜ばしい。
弱小版元中心の出版業界において、紙の焼き直しでない新たな電子書籍を作ろうと思ったら、仕様がオープンで、ライセンス料を取られないePubは、唯一の選択肢だからだ。

とはいえ、ここまでの話は、単に自炊用に最適な端末が登場したにすぎない。

電子書籍が売れるようになることとは別な話だ。
冒頭に述べたwiredの記事に書いてあることは、何ひとつ解決していない。
私は、電子書籍は紙媒体の代わりには永遠にならないと確信している。
紙ではできないものが電子書籍上で実現できてはじめて買う価値が生まれると思っている。それはもう書籍と呼ぶにはあまりにも違うコンテンツになっているに違いない。

その意味において、この3年間、縦書きだ、ルビだ、禁則処理だと紙の表現の再現にばかり、注力してきた日本の電子書籍がらみの話題には辟易してきた。

もちろん、それらができれば望ましいが、最優先ではない。というか、もう、すでにDTPの登場以来、日本の出版物の組版精度は徐々に崩壊してきた。

そもそも日本の組版ルールに確固たるものは存在せず、ルビ打ちも、字のひらきも、送り仮名さえ、各版元が独自に決めていたわけで、そこらへんの人間が寄り集まっても、意見があうわけがない。
大事なのは、新しい電子書籍というメディアを使って、どんな表現ができるか発表し続けることだと思う。
そこに個人も版元もない。寄って集って表現を模索することが大切だと思う。
その意味で、pdfでも画像でもない自炊最適端末が早く登場してくれと願っていた。

正直いうと、まだ、koboは最適端末とはいいがたい。新しい表現をする手法が何ひとつ用意されていないからだ。モノクロe-inkでは、動画はおろか、まともに写真さえ見られない。表現で紙に及ばないのであれば、紙にできない何かを実装するべきだった。そのひとつがjavascriptだったはずだ。

楽天にしてみれば、実装を義務付けられていないjavascriptは、企業効率的には優先順位は低かったのかもしれない。
でも、そういう新しい表現をできる材料があれば、そこで何かをしようとする人は必ず出てくる。木版から活字、印刷機の関係だって、そうだった。アイデアは後から出てくる。いつだって、誰かのアイデアの上に道はできていった。

今後のkoboやそれに続く端末に期待したい。

2012年7月22日日曜日

kobo touchふむ、なるほど

引き続き、電子書籍関連。 koobo touchをいろいろいじっています。
最初にpcにKobo Desktopなるソフトをインストールして、アクティベートしなければならないのは、面倒でした。 たぶん、まだ楽天のサーバーも安定してなかっただろうし、唖然とする動作に悩まされましたが、ようやく安定してきた感じがします。
Kobo touchにはmicro sdのスロットがついていて、pdf、epub、手軽なところとしてはjpgをzip圧縮して、拡張子をcbzにし、放り込んでやれば、スロットに差すだけで読めちゃいます。
でも、差しっぱなしだと、ちょっとカードの先端が出ているので、気になってしょうがない。やっぱり、内部メモリーが1Gぐらいあるわけですから、利用したい。
でも、インストールしたデスクトップなんちゃらには、データ転送機能などないわけで、どうすりゃいいのかなあと思っていたら、簡単でした。
ただ、認識されたkobo touchにドラッグして、放り込んでやればいいだけでした。
これは手軽でいいなあ。
Macだと接続しただけで、デスクトップにkobo touchが現れるので、なおさら手軽。
ただし、なぜかmac上でjpgをzipにまとめて拡張子変えても、なぜか認識されない。
windows上でやればいいんだけど、ここらへん原因もうちょっと探ってみましょう。

追記
当たり前だった。mimetypeというファイルを一緒に圧縮していた。コマンドラインで無事できたが、うーんこれはめんどい。

2012年7月9日月曜日

客に松竹梅

こうして日々、どうしたら売れるかとか、どんな発信が広告効果があるかなどばかり考えていると、ふと変なツボにはまってしまうことがあります。

たとえば、最近よくある顧客をランク分けする手法。
プラチナ会員だの、ブロンズ会員だの、ようするにいっぱい買ってくれるお客さんには、良い待遇をするというごく当たり前のことのように思えるのですが、私は変なツボにはまった企業の典型的なトンデモサービスだと思います。

というのは、お客さん側からしてみれば、それはポイントやサービス券でも、企業が出せる特典ですから、得られる利益は変わらないはずです。
じゃあ、なぜ、これを大手のソフトバンクや楽天などがこぞってやっているかというと、これをすることで、射幸心を刺激し、より高い販売効果が期待できるからです。

もし、この仕組みを近所の商店街でやったとしたらわかると思います。
隣近所が一緒に利用する商店街では、「隣の奥さんはブロンズ会員なのよ。うちはシルバーだけどね」とか「お宅はプラチナだから、大根がうちより安く買えるのよね」とかなったら、どうでしょう。

たぶん、一時、商店街は、射幸心にかられた人々で活性化するかもしれません。しかし、怒る人もいるでしょう。格付けというのをしてもらってメリットがあるのは、上場企業だけです。
サービスとはいえ、なんでお金を払った企業から、そんな烙印を押されなければならないのでしょう。
プラチナやゴールド、シルバーという言葉は、あくまでも企業側から見たあなたの価値であって、早い話が、和牛につけたA5ランクと同じ意味です。
食う側からの価値であって、それ以外の意味はまったくありません。

そんな失礼などツボサービスを平気で採用してしまう恐ろしさが、ネットにはあるということです。
たぶん、ソフトバンクも楽天も他の企業も悪意はないのでしょう。思慮が足りないだけ・・・。

別にそんなサービス、江戸の昔から考えられてきたことだけは釘をさしておきたいですね。
でも、誰も採用しなかったんです。
商品に松竹梅で差をつけても、客を松竹梅で分けない。

それが日本の文化だったわけです。

私もサービスをひねくりまわして、新たな何かを日々求めているわけですから、ともするとここらへんのトンデモサービスを思いついてしまうことがあります。
ハッとして、あわててこちら側に戻ってくることができるのは、僕が葛飾という下町にいて、人と関わって仕事をしていられるおかげだとつくづく思います。まあ、儲からないけど・・・楽しいですわ。